―令和5年1月24日(火)17時—
日が沈みかけ、夕闇が迫る中、ふと外を眺めると、激しい猛吹雪、辺りはすっかり一面の銀世界。天気予報が「10年に一度レベルの強い寒波」と告げていたとおり、明日からは除雪三昧の毎日が始まりそうです。これぞ北陸の冬のお決まりの光景なのかもしれません。
大雪に見舞われたときに、いつも気にかかるのが、除雪中の事故のニュースです。雪さえ降らなければ、ケガをしたり、命を落としたりすることがなかったのかなと思うといたたまれなくなります。
しかしながら、私たちの周りには安全なものだけがあるのではありません。我が身を脅かす危険も多々あります。そうした存在に晒されながら毎日を過ごしているというのが私たちの現実の姿です。表題の「露命(ろめい)を無常の風に任すること勿(なか)れ」とは、修証義(しゅうしょうぎ)第1章・總序(そうじょ)の中にある一句ですが、「私たちがいつ・どうなるかわからぬ儚(はかな)いいのちを生かされている」ということを指し示す一句です。朝「行ってきます!」と普段どおりに元気に出かけて行ったはずなのに、大雪を始めとする大自然の猛威や、交通事故、急病といった何らかの身の危険と出くわし、夜には「ただいま!」と元気に我が家に帰ってくることができないというのは、誰にでも起こりうることなのです。まさに我々のいのちは「露命(ろめい)」という言葉が指し示すように、露の如きはかないものなのです。
我がいのちが無常の風にさらされた露命であることに気づくならば、心がけていくべきことはただ一つです。そんないのちを生かされている者同士、支え合い、労わり合いながら毎日を過ごしていくことです。お互いに穏やかな心持ちで、前向きに生きていけるような言葉や行いとは何かを考え、施し合っていくのです。
宗務所