8月の法話 「 高校球児に想う ~無寒暑(むかんじょ)のところ~ 」
連日のように蒸暑い日が続いております。加えてマスク着用の息苦しさが真夏の暑さに拍車をかけます。
8月は夏の風物詩ともいえる、全国高校野球選手権大会(以下、夏の高校野球)があります。普段スポーツ観戦をあまりしない方も、夏の高校野球は見る、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
毎夏、テレビで高校野球を見ていると思い出すことがあります。それは、私の高校時代に母校の同大会出場が決定し、全校応援で甲子園球場に行ったときのことです。
応援に向かった試合は、熱戦の末、競り勝ち無事勝利を収めることができました。目の前で勝利を掴む瞬間を見ることができ良かったのですが、私が心に残っていることはもう一つ。 それは試合前の球場外で入場待機中のときのことです。
球場に到着してバスを降りると、焼けつくような真夏の日差しが襲います。絶え間なく鳴り続けるセミの大合唱、じっとしているだけで汗が滴り落ち、何もしていなくても体力が奪われていくような気がしました。そしてこのとき思ったことは、試合に出場する選手たちもこのような過酷な中で戦っているのだということ。この過酷な環境下でも日々練習で培ってきた自分の能力を存分に発揮し、試合終了まで白球を追いかけ続けている。普段、テレビの画面越しで見ていてもわからないことでありましたので、このような過酷な環境下で戦っていることに非常に驚いたのを覚えております。
今年の大会でも選手の皆さんには体調に十分注意していただき、夏の暑さに負けない熱い試合が繰り広げられることを期待しております。
さて、中国の禅僧のお話の中に「暑さ」に纏わるお話があります。
暑い夏の昼下がり、ある修行僧が洞山禅師(とうざんぜんじ)という禅僧に問いました。
「こう暑さが厳しくてはやりきれません。この暑さから逃れるにはどうしたら良いのでしょうか。」
洞山禅師は答えて、
「暑くも寒くもないところに行ったら良いじゃないか。」
修行僧は更に問い、
「そのような場所はどこにあるのですか。あるのであれば教えてください。」
修行僧はどこかに、暑さ寒さの感じない快適に過ごせる場所があると思ったようであります。
洞山禅師はこれに対し、
「寒いときは寒いことになりきり、暑いときは暑いことになりきる。これが暑さ寒さの無いところ、無寒暑のところである。」と答えました。
洞山禅師の云う「なりきる」というのは「徹する」ということ。そして、ものごとに「徹する」ことで暑さや寒さなんかに囚われることはなくなる、ということであります。
数年前の8月、私は知り合いの寺院のお盆のお手伝いをさせていただいたときがありました。棚経のため、早朝から外が薄暗くなるまでお檀家様の自宅をひたすら一軒一軒周ります。この棚経が始まる前は、自分が炎天下の中で歩いている姿を想像すると、外に出るのが億劫になったり、どこか涼める場所にも行きたくなります。
しかし、実際にお檀家様の自宅を周り始め、一軒一軒を一心不乱に務めていると、外の日差しや気温、流れる汗も気にならなくなりました。
また、炎天下の中、試合をする高校球児も、流れる汗や土で汚れるユニフォームを気にしていては試合に集中できないでしょう。一球一球に「徹する」高校球児は、まさに「無寒暑のところ」で戦っているのではないでしょうか。
このように「無寒暑のところ」は特別なものではなく、私たちの日常にあります。
もしかすると、皆様もすでに日常のふとしたときに「無寒暑のところ」を体験しているかもしれません。
また、これは「暑い・寒い」に限ったことではなく、「美しい・醜い」「高い・安い」「好き・嫌い」など日常に現れるあらゆる相対分別を指しています。
「徹する」ことで相対分別を捨て去り、私たちの日頃抱える悩みや苦しみを解決に導く一助となるはずであります。
あなたも洞山禅師の「無寒暑のところ」へ行き、充実した日々を過ごしてみませんか?
宗務所