6月法話「7歳の女の子でも仏の導き手」
異なる国や民族間での争いが絶えず、将来、この世界はどう持続しているのかと思うと不安になる日々が続きます。
さて昨今、新聞やテレビ等でSDGs(エスディージーズ)という言葉をよく耳にするようになりました。SDGsとは“持続可能な世界”を目指すため「貧困や飢餓、人権的平等、環境問題、世界平和の実現」などの問題を世界一丸となって解決していこうとする運動です。
曹洞宗においても1991年以来「人権・平和・環境」のスローガンのもと様々な取り組みがなされてきた歴史があります。仏の教えの実践がそのままSDGsに繋がるということで、仏教界が一丸となりSDGsを推進する方針が表明されました。
吾宗では修行生活の中で、食べ物や水などを仏の姿そのものとして尊び、無駄にせず大切に頂くという実践があります。これが、飢餓や環境問題の解決に繋がるということはわかりやすい例であります。
あまりフォーカスされてないかもしれませんが仏教として「人権的平等」に対しても大事に説いた教えがあるので少し紹介させていただきます。
まず仏教では仏の慈悲が全ての人々に平等であり、生まれや性別によって区別差別はないという法界無縁という考えがあります。
ブッダの言葉を綴ったスッタ・ニパータには「名や性としてつけられているものはただの名称にすぎない」という趣旨の文があり、「名前や肩書というのは人が区別するために作り出したものに過ぎず、その人そのものを判断する妨げとなる」と読み取れます。
また、道元禅師の教えをまとめた修証義(しゅしょうぎ)には「設(たと)い七歳の女流なりとも即ち四衆(ししゅ)の導師なり~男女を論ずること勿れ」とあり、「仏の教えを実践し人々を救おうとする心を起こせば、たとえ七歳の女の子でも全ての人の導き手となる」という教えを説いています。
このように遥か昔から非差別や男女平等についての教えがあります。
普段から偏見をなくし、いかなる他者をも尊重できるよう心がけていくことで、真理を見通し、人々を救おうとする菩提心(ぼだいしん)が養われます。
さすれば、今後起こりうる様々な問題や困難に対しても「誰一人取り残さずに」チカラを合わせて立ち向かっていける社会となるのではないのでしょうか。
宗務所