「日日是好日(にちにちこれこうにち) ―どんな日も最高のいい日なり―」
表題の「日日是好日」という禅語は、過去をむやみに悔い、未来に必要以上の期待を持ち込まず、現在(いま)を精一杯生きることに努める大切さを説いたものです。たとえば、今日はいい日だなとか、嫌な一日だったなと感じることがありますが、それは自分が勝手に作り上げた感じ方でしかなく、本当はどの日も最高のいい日ばかりであるということを私たちにお示しくださっているのです。
「朝のニュースに占いのコーナーがありますが、一度だって当たったことがありません。」―そう言って、口説くのは私の知人・K氏です。このK氏と同じような思いを懐いたことがある人は大勢いらっしゃると思います。その日の運勢がよければ、今日はいい一日になるに違いないと喜ばしくなりますが、逆に、運勢が悪ければ、今日は何か嫌なことが起るのだろうと、どんよりした気持ちで一日が始まるような印象を覚えてしまいがちです。
しかし、その一日がいい日になるか、悪い日になるかは、私たちの心がけ次第なのです。いい一日を過ごしたいと思って和やかな笑顔と穏やかな態度で過ごせばいい一日になります。逆に、今日は嫌な日だと思って過ごせば、どんよりとした表情と後ろ向きの言葉ばかり発してしまい、それが周囲にも伝わって、嫌な雰囲気が漂うことでしょう。善き結果には善き原因が、悪しき結果を生み出すのは悪しき原因があるからで、これが仏教における「因果(いんが)の道理(どうり)」という大切な考え方です。この機会に是非、知っておきたいものです。また、別の観点から見れば、この朝の占いの話は、占いだけに左右されて、一日の良し悪しを自分勝手に決めつけているだけに過ぎません。何が起こるか予想もつかず、無限の可能性を秘めた一日を自分の小さな尺度だけで決めつけて、出来ることもせずに過ごすとは、何と勿体ない、残念なことでしょうか。自分で自分に与えられたチャンスを捨てているようなものです。これもまた、よくよく考えておきたいところです。
朝の占いを見たとき、私はいい運勢の日はいい一日になるように穏やかな言動を心がけながら過ごし、運勢の悪い日は悪い一日にならないよう、明るく元気に過ごすようにしています。なぜならば、「日日是好日」、どんな日もかけがえのない、尊い日だからです。
どんな日も仏様とのご縁に恵まれた日であることを自覚して、毎日を大切に生きていくことが仏道修行者の生き方であるということを「日日是好日」は説いています。そのことを心に留めて、一日一日を大切に、精一杯、生きていきたいものです。
宗務所