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今月の法話 2021/08/01

宗務所

8月の法話 「マスクを着けても顔の見える関係を」

「マスクを着けても顔の見える関係を」

連日猛暑日が続いております、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。また、気候変動の影響でしょうか、毎年のように降雨災害が発生しております。被災者の方々には謹んでお見舞い申し上げます。

さて、昨今の気候に限らず「環境や価値観の変化がめまぐるしい」と言われ続けて久しいように感じます。かく言うお寺をとりまく事情も変化が大きいと言われております。
例えば、コロナ禍の影響もあり法事を縮小化したり、お寺の法要や葬儀においても簡素化省略化の流れに拍車がかかっている状況が全国的であるかと思われます。
それの是非はさておき、私自身としてお檀家さんとお話するうちに最も耳にする心配事は少子高齢化による跡継ぎの話です。「自分が亡くなったらどう葬儀を行おうか」「自分の後に墓を世話する人がいない」といった言葉をよく耳にします。
そして、「色んな仏事をするのが難しいのだけれど、やっぱり出来る限りの供養がしたいのです」という言葉が続くのです。

しかしながら、こういった問題に正解はありませんのでその方々の都合をよく聞き、お寺とお檀家さん双方が一番納得される方法をとる他ありません。

私が寺に帰ったばかりで右も左もわからぬまま住職になったときは、お檀家さんに対して「昔から皆こうしていましたよ」という風な“画一的”な対応をしがちでありました。
しかし、色んなお檀家さんとお話させていただくうちに、それぞれの家族構成や親せき付き合い、お寺との距離感、など様々な事情があり、一筋縄の対応をしていては真に心のこもった仏事はできず、これではいけないと感じるようになりました。
それ以来、相手の方と真摯に向き合いお互いに相談しながら作り上げていくものが本来の供養であると考えるようになりました。

お釈迦様の実践された、「方便(仏道に導くために、その人に合った言葉をつかう)」や「応病与薬(患者ごとに適した薬を与えるがごとく、相手に合った言葉や行いを施す)」といった行いも、わけへだてなく相手を良く知ろうとし(同事)、慈しみの心をもって優しい言葉をかけ(愛語)、自分のみならず他人の利益のために行動する(利行)、これらの心あってこそだと思います。

SNSが発達した現代では、素性もわからない人の意見を文面だけで受け取り、誤解の多いコミュニケーションが増え、攻撃的なやり取りに終始する場面が多く見受けられます。
それに惑わされず、顔の見える関係でお互い対話を重ね、理解し合おうという姿勢を心がけていきたいものです。