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今月の法話 2021/04/01

宗務所

4月の法話 他は是れ吾にあらず(たはこれわれにあらず)

4月の法話 「他は是れ吾にあらず (たはこれわれにあらず)」

皆さん、こんにちは。4月に入りまして子ども達の学校では新学期を迎え、感染対策を行いながら通例の行事も少しずつ行えるようになり、また例年のように子ども達が多くの経験ができるようになる事と思います。今月はそんな経験についての禅の言葉を少しご紹介できればと思います。
 
今から数年前、小さなお子様を連れたご家族が愛犬シロ(仮名)の納骨にお寺に来られたことがありました。納骨のお参りを一通りさせていただいた後、
「それでは大切にお預かりしますね。またお参りに来てください。」
そうご家族に告げて立ち去ろうとすると、それを聞いていた小さな男の子が突然、
「和尚さん。あげたいものがあるから、ちょっと待ってて。」
そう言って、お父様から車の鍵を受け取り、車の方に走って行きました。
しばらくして小さな箱を持って戻ってきた彼が私に、その中から小さなおもちゃの宝石をくれました。
「これ僕の宝物だけど少しだけあげる。シロのことお願いします。和尚さん。」
彼なりに愛犬の死を受け止め、自分がシロの為に何かしてあげたいと思い行動した事であり、それはとても素晴らしい行いだと思いました。それを見ていたお父様も息子さんの成長にとても驚いていました。

道元禅師の書かれた典座教訓(てんぞきょうくん)の中に「他は是れ吾にあらず(たはこれわれにあらず)」という言葉があります。
禅の修行の中で修行を実践するのは他人ではなく自分自身であり、自らが経験して学ばなければ意味がないという言葉です。
禅の修行道場では年齢や得意不得意に関係なく様々な仕事が割り当てられ、それを人任せにせず、自身で全うすることを大切にしています。
親の目線では、子ども達が懸命に励んでいる時、代わりに全てやってあげることが本当の気遣いではなく、時には任せ、どうすれば彼らの為になるのかを考え、見守りながら、たとえ失敗するような事でもやらせてあげることが大切な時もあります。
見たり聞いたりではなく、実際の経験こそが重要であり、きっと後に力となるからです。
まだまだ気の抜けない状況の中、子ども達がまた多くの経験を経て成長できるよう周りの私たちが感染予防等で見守りながら今年一年の行事を丁寧に努めていくことが大切ではないでしょうか。