11月の法話
同事~事を同じくする~
皆さんこんにちは。今月は何気ない日常生活の中の些細な仏教の生き方をご紹介したいと思います。
今から十年程前、私はまだ新米の住職で、初めてお月参りに行くおじいちゃんのお宅に車で向かいながら頭を悩ませていた事がありました。
六十歳は年の離れたおじいちゃんとこれから毎月、何の話をしたらいいだろうか。
そんな思いの中、おじいちゃんのお宅に着き、玄関先で軽く挨拶を済ませ、仏壇の前でお参りをした後、おじいちゃんがお茶を入れてくださり、同時にちいさなメモ紙を私にくれたことがありました。
その紙には、市役所、庭、野球、〇〇大学、〇〇病院等、意味の分からない言葉がたくさん書いてありました。
「おじいちゃん、これ何ですか?」
「ああ、和尚さん若いから、これから毎月、私とどんな話が出来るかと思って、その紙に私のよく行く場所とか好きなものとかよく見るテレビ番組とか、一通り書いておいたから、何かあてはまるものあるかい?」
おじいちゃんも自分と同じ心境だったことに驚き、同時にすごく嬉しくて、とても安心した事をよく覚えています。
「じゃあ、僕も野球好きなので今日は野球の話をしませんか?」
それからは、おじいちゃんとは毎月楽しくお話をさせていただけるようになりました。
曹洞宗の信仰生活の中に同事という言葉があります。
道元禅師は同事を修証義の中でこう示されています。
「同事というは不違なり」【同事とは違わないことである。】
常に相手の立場に立って、同じ気持ちで共に喜び、共に悲しみ、寄り添って生きていく事を表しています。そして、同じ気持ちの人や自分の気持ちが分かってくれる人がいることは、とても心強く安心できるものであります。
これからまだまだ新型コロナウィルスの感染予防に気の抜けない状況が続いていく中、一人で考え込んで不安な方も多い事と思います。
こんな時だからこそ、同事の教えを心に持ち、一人で考え込まずに互いに声をかけあい、思いやりながら日々生活していく事が大切ではないでしょうか。
宗務所