以前、お盆の棚経(たなぎょう:各檀家さんのご自宅の仏壇での読経)のお手伝いのため、県外のお寺に数日間宿泊させていただいたことがありました。ある朝、身支度をしているとお寺の廊下に貼ってあったポスターが目に留まりました。そこには、1つの詩が掲載されていました。
―あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
[中略]
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
[後略]
滞在中ずっとこの詩が気になっており金沢に帰ってから調べてみると、詩人・作詞家の宮澤章二さんの作品であることがわかりました。
〈こころ〉は見えないけれど〈こころづかい〉は見える。〈思い〉は見えないけれど〈思いやり〉は見える。この詩は非常にわかりやすく、なお且つ感慨深い言葉ではないでしょうか。
たとえ、相手に対し感謝の思いを持っていたとしても、こころの中で思っているだけでは当然伝わらないわけであります。その思いを言葉や行動にして、形に表わすことで相手に伝わるものであります。
これは対人関係にだけ当てはまるものではなく、今を生きる私たちとご先祖様との関係(先祖供養)にも同じように当てはまるのではないでしょうか。
私たちの命とはご先祖様から脈々と受け継がれてきた尊い命であります。この命を頂き、今を生きることができています。先祖供養とは、ご先祖様に向けて、私たちが今生きていることに報恩感謝(恩に報いて感謝をする)の思いを捧げていくことであります。
ご供養は、報恩感謝の思いから始まり、その思いを形に表わしていくことであります。
ですから私たちは、お仏壇にお花やお水、ご飯などのお供えをしたり、蝋燭に火を灯し、お線香をあげ、手を合わせたりと様々な形に報恩感謝の思いを託しているわけであります。
7月8月はお盆の期間に入ります。このお盆もご先祖様への報恩感謝の思いを捧げる行事のひとつであります。皆様もご先祖様に対する〈こころ〉・〈思い〉を〈こころづかい〉〈思いやり〉になるように、〈こころ〉・〈思い〉を形に表わして、ご先祖様に報恩感謝の思いを捧げませんか。
参考文献
・宮澤章二(2010‐2011)『行為の意味 青春前期のきみたちに』ごま書房新社.
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